公開: 2021年4月24日
更新: 2021年4月24日
江戸時代末期まで、日本社会における鉄づくりは、古代からの「たたら製鉄」と呼ばれるやり方であった。たたら製鉄では、山で採集される土に含まれた砂鉄を原料として、砂鉄を3昼夜かけて、焼けた木炭の上にまいて溶かし、焼け跡に残った鉄を取り出していた。この方法では、1回の製鉄作業で、生産できる鉄の量が少なく、鉄は高価で貴重な材料であった。このため、鉄を使った道具は、大変貴重なものであった。
幕末になると、大砲などの兵器の生産のため、大量の鉄が必要になるため、西洋式の反射炉による製鉄法がヨーロッパから伝えられ、幕府や薩摩藩などで、反射炉の建設が試みられた。反射炉では、石炭を燃やし、鉄鉱石やくず鉄を原料として、一度に大量の鉄を生産できる。このように、日本の近代化には、鉄を国内で生産することが、極めて重要であった。明治維新になって、明治政府は鉄の生産のために官営工場を建設した。